「人生に無駄はない」
自己啓発本などでも、似たようなフレーズをよく見かけます。
この言葉の本質は「その時の状態による」という、ただそれだけ。
人生が上手くいっていると感じる人は、「人生に無駄はない」と感じるでしょう。
一方で苦しい思いをしている人は「もしあの時・・・」や「どうしてやらなかったのだろう」と後悔ばかりしています。そして「無駄な人生を過ごしてきた」と悲観的になります。
私もそうでした。
しかし一つだけ事実があります。
それは「人生はつながっている」ということ。
高校時代、地元の友人とバンドを組みました。
オリジナル曲を作り、僕は作詞を担当していました。
あの頃は本気でメジャーデビューを目指していましたし、
手を変え品を変え、様々なジャンルの詩を書きました。
しかし、残念ながらロックスターになることはできず、
地元ではそれなりに活躍できましたが、音楽で飯を食うことはできませんでした。
言葉を扱う癖は、静かに積み重なっていく
音楽活動の傍ら、しっかりと人生のレールに乗って、大学へと進学します。
知名度はありますが、学力はそこそこの中堅私大です。
大学では偶然ですが、文章を学ぶゼミに入りました。
文章を学ぶと言っても、専門性の高い研究をしていたわけではありません。
ゼミでしていたのは主に「音読」です。
ゲーテの「ファウスト」をゼミのメンバーで音読していく。小学生のころに国語の時間でやった「本読み」を大学のゼミでやりました。
「何の意味があるのか?」と当時は思っていました。同じ学部内でもネタにされるほど、楽なゼミだったように思います。
ファウストが終わったあとも、谷崎純一郎・
それでも卒業後、就職はしませんでした。
舞台と音楽の世界に、本格的に身を置く選択をします。
合理性はありませんでしたが、あの時点での自分にとっては、
「やらない理由がない」選択だったのです。
結果は、当然うまくいきません。
才能だけで食べていける世界ではないことを、身をもって知りました。
無駄に見える時間は、意味を待っている
舞台や音楽の道では生活ができず、渋々始めたスニーカーショップのアルバイト。
夢を追う側から、少しずつ現実に追われる側へ。
そう感じる瞬間もありました。
ただ、店頭に立つ中で、ひとつ強く印象に残ったことがあります。
それは、多くの人が「靴」に対して何らかの悩みを抱えているということでした。
サイズが合わない、足が痛くなる、どうやって靴を選べばいいか分からない。
話を聞けば聞くほど、悩みは人それぞれなのに、共通点も多い。
不思議だったのは、靴は誰もが毎日使うものなのに、
その「正しい選び方」を、誰からも教わっていないという事実でした。
学校でも、家庭でも、社会でも、意外なほど語られない。
当時、ネットで調べてみても、
踏み込んだ情報や、実体験に基づいた解説はほとんど見当たりませんでした。
そこでふと思ったのです。
「これは、みんな本当は知りたい情報なんじゃないか」と。
その違和感が、ブログを始めるきっかけになりました。
断片的な出来事は、知らないところで連続している
「これを文章にしたら、誰かの役に立つかもしれない」
そう思って始めたブログは、すぐに結果が出るようなものではありませんでした。
思ったようにアクセスも伸びず、5つ、6つとサイトを潰し、そのたびに「やっぱり無理だったか」と思う。
それでも続けた理由は、成功したかったからというより、
「やめたら、これまでが本当に無駄になる気がした」からです。
そしてようやく一つの正解にたどり着いたブログ運営。アクセス数もジワジワと増え始め、月間10,000PVほどになった時に、少しずつですが収益も増えていきました。
そしてこのブログを実績の一つとし、WEBライターの仕事も始めるようになりました。
初めて受注した案件は、トレンドブログの記事執筆。
1,500文字書いて、報酬は400円でした。
今思えば、文字単価は相当に低く搾取されていたのですが、当時の私は文字単価の相場も知らず、ただお金がもらえるからと続けていました。
ブログを通じてWEBライターの仕事を始めた矢先、
コロナ禍で舞台と音楽の活動は完全に止まりました。
アラサー、フリーター。
ここでようやく、社会人になる決断をします。
人材派遣の営業に入り、半年で辞め、
次はインテリア用品の営業へ。
今思い返しても、かなり過酷な環境でした。
それでも2年半続けたのは、
「この時間を、単なる失敗にしたくなかった」からです。
成果を出すこと、数字で語れること。
ここで初めて、過去の経験が実務と結びついていきます。
人生は、あとから意味を持ち始める
その後、インテリア用品時代の実績と、
ブログやライターとして積み上げてきた経験を評価され、
僕は新聞記者という仕事に就くことになりました。
そこで初めて、はっきりとした感覚がありました。
「ああ、これは全部つながっていたんだな」という感覚です。
バンドも、作詞も、舞台も、売れなかったブログも、ブラックな職場も。
どれも単体では、正解とは言えません。
でも、連なったときにだけ、意味を持ち始めました。
そして新聞記者が意識する「文章の読みやすさ」は、突き詰めれば「音読のしやすさ」や「リズム感」など、非常に感覚的なもの。
私はそれを、無駄だと思っていた大学のゼミで学んでいたのです。
古今東西の名文と呼ばれるものを音読することは、ただ黙読するだけでは得られない感覚を養っていたのです。
無駄だったかどうかは、最後まで分からない
人生に無駄はない、という言葉は、
努力を美化するための言葉ではありません。
むしろ、
「無駄だったかどうかは、最後まで判断できない」
という事実を受け入れるための言葉なのだと思います。
今、意味が見えない時間の中にいる人がいたとしても、
それは失敗ではなく、まだ物語の途中なだけです。
人生は、進んでいる最中には説明がつきません。
意味は、いつも後ろから追いついてきます。



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